世界の中心は君なのかもしれない

俳優の青木玄徳さんのヲタク

長くて濃い熱い夏

青木さんのファンになって1番濃かった時期は2013年の4月末から9月終わりまで

全国氷帝の時期でして

これって結構私の中で1つのターニングポイントみたいな

青木さんを知ったきっかけはテニミュだし、氷帝って関東氷帝、六角って出たらもう本公演に出るのは全国氷帝だけ
1stは長かったっていうのもあってスケの問題で加藤和樹さんと斎藤工さんが名古屋公演まで出演しなかった(個人的思考だけど多分無理矢理スケを捻り出した)
その時跡部役を決めるのにひと悶着あって、それはWikipedia先生か1st跡部 岡田外潤でGoogle先生に教えてもらって。簡単に言うと今で言う炎上ってやつがあって、その続投が久保田悠来さん、井上正大さんだったんだけど、それもまぁ色々とあったみたいで※賛否両論
あと鳳役の伊達晃二くんも色々とあって。ここも調べて←
まぁなんというか1st全国氷帝ってダブルキャストだったし色々と消化できない部分が結構多くて

私の中で、2nd氷帝は全員続投して欲しかった。てか2nd自体がスパンが早いから何も無い限り続投可能だと思ってたし、青木さん自体もその事は濁しながらもイベントで喋ってた。そして全員続投が決まったのなら
もう、この夏に費やすしかないなって決めたのが、氷帝復活のドリライ2013だった。

初日に泣いたのを覚えてる
馬鹿じゃねーのって笑われると思うんだけどやっぱ私の中で2nd氷帝はおっきな存在だったのは間違いなかったから

2013年は地方だった私が上京した年で、タイミングも良くて。通えるだけ通おう。と心に決めた

TSCも友人達から名義借りまくって行けるだけ行けるようにして、金額はもOh…って感じだったけど後悔はしなかった
「行けない後悔する位なら行って後悔したい」
これが私の座右の銘※俳優限定

東京公演は2/3は通った。ほぼ毎日TDCに居座ってた
大阪名古屋仙台も飛んだ。福岡は地元なので問題なかった
凱旋公演もほぼ半分は行けたかな。何や言って学生だったんで9月とかガッツリ学校だったんで学校通いながら
地元でバイトして貯金したやつはほぼ消えた
親にバレた時は勘当されるんじゃねーかって位怒られた
どーしても最前列に入りたくて積んだ
毎日TDC前のスタバとかマックで手紙書いてた
勉強が厳かになって専門学校1年で中退した。これは流石に泣いた

でもただ後悔したくなくて通ってた
1公演も見逃したくなかった私の意地だと思う

日に日に青木さんの演技は変わるので
いい日もあれば悪い日もあった
ムカつくくらいダメな日もあったし
笑っちゃうくらい最高な日もあった

千秋楽の挨拶は、人目なんか気にせず泣いた
あぁ終わるんだって悲しさと、青木さんの言葉に泣いた
「彼等(他の氷帝メン)がいなければ僕は挫けてました」
って、泣かない筈の青木さんが泣いたんだよね
舞台上で絶対泣かないはずの青木さんが、泣いたんだ

その時にはもう四天宝寺公演には氷帝は出ないって決まってたし
もう2度と跡部としてTDCという舞台に立つことは出来ないんだろうな。という気持ちもあった
だから、目に焼き付けた

まぁ地方公演の時に色々あって、悲しくなって泣いた個人的なエピソードもある

でも、あれだけ熱い夏はもう2度とやって来ないんだろうなとは。未だに思うよ

2013年のことは今でも殆ど覚えてる位強烈な1年間だったから

今は跡部を演じてた青木に未練は無くて
今演じる役たちが好きなんだけど

「あなたが1番覚えてるのはいつですか」って質問があったら
私は2013年ですって断言できる

長くて濃い夏をありがとうって。色々消化してる今なら言える。